2010年12月19日13時30分~15時30分。
第4回目のゲストは原 康司さんです。
原さんは徳山市出身。自転車でのアメリカ横断やカヤックでのアラスカ・ベーリング海沿岸単独航海など、10代の頃から旅を続けてこられた冒険家です。
現在は周南市でシーカヤックのお店を経営されています。
平生町の佐合島で、自然学校の「ダイドック冒険学校」を開催。子どもたちが自然を深く理解することが、地球全体を考えるような豊かな人間形成につながるとの思いで取り組まれています。
今回のさぽカフェでは、旅を中心としたご自身の半生と、そこから得た教訓。自然学校に対する思いなど話してくださいました。
●3歳の初冒険
最初の旅は3歳のときでした。2つ違いの兄が入院している病院まで、一人で歩いていったのです。驚いたお母さんの顔を見て満足したんですよ。人を驚かせたいという気持ちが芽生えた旅でもありました。
高校生のときに徳山から防府天満宮まで走っていったところ、たまたま居合わせた高校の先生に、後日みんなの前でほめられたんです。
こんなことでほめられるならと、次は太宰府天満宮へ。18歳で九州一周の旅に出ます。
そして19歳のときにアメリカへ。自転車での大陸横断に成功しました。
このときに感じたのが、整備された道を走るしかないことへのもどかしさでした。
人の作ったレールの上を走るのはいやだと思い、道のない海を自由に進めるカヤックに転向するのです。
●アラスカへ。そして遭難。
1996年からアラスカ遠征を繰り返すようになり、2002年にはアラスカ・ベーリング海沿岸の単独航海を行うことになりました。
ところがこのとき、挑戦2日目で遭難してしまいます。
テントにいたところ、雪解け水で水位が変化し、テントなどは無事でしたがカヤックが流されてしまったのです。
4日目に偶然通りかかった飛行機に助けられるまで、様々なことを考えました。
装備をなくしてしまったときに、自力で生き延びるスキルがないこと。
今まで行ってきた冒険も、結局はお金の力によって成功していたことに気がついたのです。
そして、現代人はそういうことに気づかずに生きています。
そのことにあやうさを感じたのです。
●エスキモーの村で学んだこと
救助されたあと、エスキモーの村に行き、自分の力で生き延びるスキルを学びました。
そこにはエスキモー学校があり、白人によって奪われた伝統的な文化、言語や狩りの方法などを教えてくれるのです。
そこで学ぶうちに、翻って日本のことを何も知らないということに気がつきました。
エスキモーのことに詳しいのに、日本のことは何も答えられない。
自分のアイデンティティはいったいなんなんだろうと考えました。
そのとき教わったのは「生まれた場所には意味がある」というエスキモーの考え方。
そして、家を建てたり狩りをしたり、なんでもできる実力のあるエスキモーの人たち。
生まれた場所に意味があるなら、地元に戻り、自分たちの力で何でもできるエスキモーのような人を育てる。
そういう場所が必要だという思いから、自然学校を始めることになるのです。
●ダイドック冒険学校
平生町の佐合島の学校跡地に冒険学校はあります。
今まで家を建てたり畑を耕したりした経験はなく、子どもたちといっしょに現在進行形で学びながら作り上げている最中です。
小さいクラスは4歳から小学2年生。大きいクラスは小学3年生から中学生まで。
キャンプやモリつき、カヤック、スキーに山登りなどを行います。
環境問題など理屈をいくら言ってもピンとこないものです。
その場に連れて行って体験すること。五感で感じることが大切なのです。
●将来の夢
やりたいことはたくさんあります。
その中でも実現させたい夢は、和船の建造です。
2004年、ハワイからホクレア号という巨大なカヌーが日本にやってきました。
ハワイの若者たちが古代の舟を復元し、伝統的な航海術である「スターナビゲーション」を使って航海してきたのです。
これに触発され「うたせ舟」という、昭和の初めまで操業していた漁船を復活させたいと思っています。祝島にまだ舟を作ってる人がいるんですよ。
ホクレア号が日本に寄港したのは、日本移民がハワイ文化に貢献してくれたというのが理由です。
しかし日本も経済活動重視でここ数十年でたくさんのものを失ってきました。
ハワイの失われた文化の象徴であるホクレア号が日本に来たことは、日本も失われたものを取り戻しなさいと言われているような気がするのです。
●質疑応答
休憩中にみなさんに出されたのは、たこめしのおにぎりとびわ茶です。
たこめしのたこやびわ茶は祝島でとれた物で、びわ茶は無農薬で栽培されたものです。
シンプルなんだけど、噛めば噛むほど干しだこのうまみが口の中に広がって、とてもおいしくいただきました。
後半は質疑応答です。
たくさんのやりとりが交わされましたが、印象的だったものをいくつがご紹介します。
Q 祝島周辺は原発予定地になっているが、そのことについてどう思うか。
A 自分は反対の立場です。それが例えば原発でなく化学工場だったとしても反対しています。理由は「海を守りたい」から。
生まれ育った徳山の海にはコンビナートがあり、瀬戸内の海はこういう海しかないのだと思っていたが、違っていました。祝島には豊かな海が残っています。その海を残すために声を上げること。行動を起こすことが大切だと思っています。
Q (幼い息子さんがいらっしゃいますが)子どもにはどういう大人になってほしいか。
A 私が親に感謝しているのは、何も言われなかったことです。心配はしていたでしょうが、あれだめこれだめといわれたことはありませんでした。子どもにも好きなように生きていってもらいたいです。
ただ、子どもに未来を語っているんだけど自分は夢を持っていない人が多いですよね。大人が夢を持つことが大切だと思います。
●感想
人が作った道の上を走りたくなくて、カヤックに転向したエピソード。
アラスカで遭難し、生き延びるスキルをエスキモーから学んだというエピソード。
人間の原初の姿を探求していくようなその姿勢は、私にとってはすごい驚きでした。
極限の状態に自らを追い込んで、その中から答えを見つけだそうとする旅は、まるで修行のようだなと思いました。
冒険家の「旅に出る理由」の一端がわかったような気がして、よかったです。
市民広報記者 藤山